創造力の豊かさと感受性の豊かさと

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最近、このブログをコンスタントに更新するようになって、私自身、自分の意外な一面が見えた。

いろんな方からこのブログの感想をもらう中で、友人から「自己表現の手段は人によって全く違うね!私はものづくり、Xちゃんは歌、あなたは文章だね!」と言われて、(まさか!)と思った。

そんなわけがない。

生まれてこの方、文章を書く事が得意とは疎か、好きだと思ったことも寸分足りとも無い。

課題の感想文すらまともに提出した記憶がないのに。

これまでずっと、文章を書く事に苦手意識があったのだが、とはいえ物事なんでも反復による修練が必要で、文章もまた然りだ。

無理矢理にでも定期的に書いてみると、少しは楽になってくる。

書のお社中に編集者がいて、彼に「つべこべ言わずにともかく書け」と言われた事を思い出す。

先日、知人から自費出版の詩集を頂いた。

艶めかしく綴られた詩を読みながら、私は彼に質問をした。

(詩って、どうやって書くんですか?実体験?)

「インスピレーションの源は、実体験もあるし、人から聞く話もあるよ。」

その時は、(そういうものなのか…)と思う程度で終わった。

後日、彼とやり取りをする中で、私が書をやっている話をした。

すると、驚いた事に、翌日には「君からインスピレーションを受けて書いてみた」と、詩が届けられた。

これは、もう衝撃的な出来事だった。

何が起こったのかよくわからない。

私は基本的に、実体験を通じて実感したことが思考の源になっている。(恋愛話 もそうだし、副業の考察もそうだ。)

描写に限らず、思考の土台は全てこの体感だ。

違う言い方をすれば、物理的な側面でも、感覚的な側面でも、やったことがない、感じた事がないものは言葉にできない。(し、知らない事を語りたいとも思わない。)

彼は、(私の作品は見て頂いたが)実物も見ていない、書いているところを見たわけでもないのに、その景色を文字にまとめていた。

それが良い、悪いという二元論的な評価の話ではなく、これは創造力と感受性の違いだと思った。

私は美術系の学校にいた経歴があり、実生活に於いても人から「君はクリエイティブだよね」と言われることが多いので、てっきり自分はそうなのかなと刷り込まれていた。

日本語をカタカナにした途端に人によって微妙に定義がずれていくのだが、今回の件で「私はクリエイティブではない=創造力が豊かではない」と感じた。

代わりに、「感受性=sensitivityは豊か」だと思った。

感受性は、「受」という字があるように、環境内の事象の変化を刺激として感受する能力だ。

今起きている事、これから起こる事、それがどういう因果関係なのか、こうした事を察知する能力は長けていると思う。

いわば、刺激があって反応がある、その反応が私の描写の源だ。

が、しかし…

彼の描写のプロセスは、刺激と反射ではない。

彼は、「インスピレーションを受けて」と言っていたが、それはネタのキッカケでしかなく、描写された内容は全て彼が創造した世界だ。

これは参った。

カラクリが全くわからないが、初めに友人から言われた通り、自己表現の手段は人によって全く違うという事を目の当たりにした出来事だった。

(おわり)

(追記)

その詩がどんなものであったか、ご覧あれ。 東龍青